やんちゃ娘
小さい頃、やんちゃな子だった。
昔から私を知っている人なら、大きく頷かれることだろう。
もし、その頃の私を見たら誰もが「将棋」という言葉が一番不似合いで異様な感じがするかもしれない。それでも、私は将棋教室に通い、ちょっと将棋を指していた。
小学6年生になり、中学でも将棋ができる環境にという親の計らいから、中学受験をすることになった。母は、師匠にお願いして推薦書を書いてもらわなければならないと言っていた。
ある日、関西将棋連盟の道場に私を迎えに行った母が、タイミングよく師匠の伊藤博文七段と玄関で出会ったらしい。
師匠が母を見て、「お母さん、良いところで会いましたね。お茶でもいかがですか。」と誘ってくださり、近くの喫茶店へ。母はこの機会にと、師匠に言った。
「あの、中学受験で、先生の将棋の推薦書が要るのですけれど、書いて頂けませんでしょうか?」
すると、師匠が快く、「分かりました。いつでも持ってきて頂ければ書きます。」と言って下さったようである。それから、師匠が、
「あの…、奈々ちゃんを黙らせる方法を教えてもらえませんか?」
と仰ったそうだ。
「実は、教室で将棋を教えていると奈々ちゃんがスーパーボールを持ってきて、ポンポン投げて、そのうち階段の上から一階まで投げ出して、みんなが奈々ちゃんに着いてスーパーボールを見に行ってしまって、授業にならないんです。」
その言葉を聞いて恐縮しまくった母は、
「たぶん、…漫画の本があれば黙ると思います。」
と答え、冷や汗をかきながら立ち去った。
その後、母は私を迎えに来て半狂乱になって怒るのを、私は何のことなのか、あまり理解せずに見ていた気がする。
それから、長い年月が経ち、私はやっとのことで女流棋士になり、師匠は大和高田の駅前商店街の一角に将棋教室を開かれた。
何度かお手伝いに寄せてもらっているが、その中にはとってもやんちゃで将棋を指しに来ているのか、遊びに来ているのか分からないような生徒さんもいるらしい。
ある時、師匠が言った。
「あの、やんちゃな子もね、いつか大きくなったら、奈々さんみたいになると信じて教えているんです。」
ちょっと背中がこそばゆい気がした。
藤井奈々