なつやすみ

300字。今回提示された、エッセイの最低文字数である。大学で2500字以上のレポートをぽんぽんと書いてきた百戦錬磨の私には容易いことだと悠々と筆をとったが、最近の生き様を思い出しながら300という数字と睨み合っていると、一つの反省が浮かんできた。私の2ヶ月に及ぶ長い夏休みは、吹けば飛ぶ発泡スチロールのようにすかすかであった。
大学生の夏休みは、暇の代名詞のようなものであろう。向上心溢れる学生は例年、この時間を資格等の勉強もしくは普段できない旅や留学など有意義に使う。しかし、友人と久闊を叙すことはおろか、家の外に出ることさえ憚られるこのご時世では、長期休暇の使い道というのは案外少ないものである。普通の大学生のようにバイトをしない私などは特に、将棋の他には家で寝転がりぼうっとするしかやることがない。たまに某女流とゲーム内で会っては年相応にキャッキャとはしゃぐものの、どっこらしょと立ち上がる姿はそこらのご老人よりも立派に老人であった。頭脳も筋肉も視力も衰え、あわや床と一体化するかと思われるような生活に別れを告げるべく筋トレを始めるも、今度は筋肉により四肢が迫力を増し、憧れの清楚で可憐な女流棋士像からさらに遠ざかってしまい頭を抱える。運動がダメならば新しく資格でも取ろうかしらと勉強を始めたが、言うまでもなく進捗は亀の歩み。将棋では一歩一歩というものの、ダラダラしていれば一歩も進まずに一日が終わってしまうのが人生である。誰も、さあ君の手番だぞ、早く歩みを進めたまえよと急かしてはくれない。なるほど、自分自身との戦いである点においては将棋も人生も同じなようである。
将棋はといえば、最近は次々と出てくる新常識についていけず、しかし必死に追いかけている状態である。20歳という今の時期にしか得られないものもあるだろうから、大学からも将棋界からも振り落とされぬよう一層頑張らねばと、筋トレの成果が垣間見える両腕に力を込める。
どれほど強い将棋のプロであっても、対局においてミスをする。まして人生のプロでもなんでもない私たちには、何事もなく一日を終えることすらも難しい。失敗や負けが続いて放り出してしまいたくなることも常だが、それでも少しでもいいことがあれば、少しでも良い手を指すことができれば、もう少し続けてみようかしらと思えるから不思議である。もっとも、この歳で人生を語るなど烏滸がましいにも程があるのだが。
10月からはまた大学生活が始まる。ぐうたらな夏休みを終えた私は、ひいひい言いながら勉学に勤しんでいることだろう。来年かわいい後輩が研究室に入ってきてくれることを夢見つつ、今日もそこそこ頑張って生きようと思う。

水町みゆ

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