初心を忘れずに

 私が将棋を覚えたのは5歳の頃で、この時は動かし方やルールを知っている程度だったが、保育園の友達との遊びで将棋をやる内に、「将棋=楽しい」という感情で向き合っていた。

それが今はどうだろうか。将棋を好きでやっているのか、他にやることがなくてただ指しているのか、それともその両方か。これは今の自分に聞いても直ぐに答えが出せないのが現状である。

 私が奨励会に入ったときAIは一応存在してはいたが、そこまで強くなかったので、使っている人はいなかっただろう。それが今はどうか。使うのが当たり前になりつつあり、やろうと思えば詰みまで研究できてしまう。将棋は答えがないから面白いなんて言われていたものが、数値で測られ簡単に優劣が見られてしまう。それでも最強戦法なんて物は今の時点では存在していないし、その境地を求めて我々はAIを使うのだろう。

 私がAIを使い始めたのは奨励会初段の頃で、その時は指した将棋を解析する程度だった。

二段までは序盤に多少悪くなってもひっくり返す手腕があれば何とかできた。だが三段になると序盤で引き離されてそのまま逃げ切られてしまうパターンが増え序盤の戦略から活用するようにした。

 最初は三段リーグの環境に飲まれて苦戦していたが、徐々に順応し連続で勝ち越して手ごたえを掴んだ。

だが今ひとつプロになれるイメージが湧かず、自分には何か足りない物があると感じていた。また、現状維持は衰退とも言うので、多少の危機感はあったのが的中し5、6期目と負け越してしまい、奨励会をやめるかかなり悩んだ。

人間調子が悪い時は誰にでもある。ただ2期続くというのは調子ではなく実力だと思ったからだ。師匠や親になんと理由を言ってやめるか考えていたが、そうこうしている内に次の三段リーグが始まってしまった。

新しい三段リーグが始まり、もしかしたら何かの間違いで勝ちが舞い込んでくるかもと野暮な期待をしていたが、案の定連敗スタートでプロの夢は潰えたなと思った、と同時に年齢制限までやってやろうと開き直った。26歳までやって無理なら諦めがつくし、人生は一度きりなので楽しんでやるしかないな、と。

そしてこの時「将棋=楽しい」という将棋を覚えた頃の感情を思い出した。

所詮、将棋はゲームだ。幼少期の頃は楽しんでやっていた将棋をAIに頼り、勝つことだけにとらわれていた。

ゲームなのに楽しまなくてどうすると。

楽しむことを軸に指していると徐々に勝ち星が集まってきて、自分に足りていなかったのは実力ではなく「将棋を楽しむ」ということに気づくことができ、それが今回の昇段に結び付いたと思う。

私はこれからも将棋を楽しんで指す。

 

森本才跳

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